判断と責任
25さんのブログで学んだ事と、そこから考えている事を書いておく。
ほぼ毎日我々は判断する機会を持つ。
情で判断すると、判断を誤りやすい。本当は正しいと分かっている事に目を瞑る事すら起こりうる。そして、信用を失う事もある。
観察し、分析結果から判断する。判断精度が上がる。周囲からの信用に繋がる。
情は勿論、大切だと思っている。現に情に何度も救われてきた。ただ、情を抜きに論ずべき事柄もある。情と判断の間に線を引きながら、両立させるのが望ましい事もある。それもまた、観察から判断すべき事。
情を差し挟むべきではない事柄でも、情から離れられずに振り回される人間を人情に厚いと言い、求められる時に求められる冷静さを持つ人間を非情と呼ぶ事もある。冷静と非情の区別は往々にしてつけにくい。
「○○の為」「自分はこれで良い」「嫌だが断りにくい」等と、自分が我慢して保つ関係は結局、関係者全員を不快にして破綻する場合がある。「可哀そうだから」「そこまで言わなくても」等と甘やかし、結果誰かが自力で抜け出せない程の厄介事に嵌り込むのを看過する事もある。それを思えば、情を抜くべき時に抜けない人間こそ非情であろう。
そういう人間は、確かに善人だが、最終的な結果を考えない近視眼的善人だ。それだけではなく、他者から良い人に見られたいという自己愛から行動している場合もある。
私もその傾向がある。だから、変わる。
何かの為と言うならば、最後まで貫け。
誰かの為なら、その人を何があっても守り抜け。
それが出来ないなら、始めから止めておけ。
優しさは甘さではない。まして、弱さではありえない。優しさこそ、貫くには強さが必要だ。突き放す強さ、縋られても揺るがない強さ、どんな状況になっても投げ出さない強さが。
Lio Valente
テーマ : 哲学/倫理学 - ジャンル : 学問・文化・芸術
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コメント
さすがの分析、文章。
自分と照らし合わせてよ〜くわかります。
皆さんに読んでいただきたくて、私のブログで紹介させて頂きました。
事後報告でごめんなさい。
ありがとうございました。
No:1928 2008/01/07 00:06 | 25 #xgl6jd7MURL[ 編集 ]
おぉ
先日似たような話しをクラスメートとしました
私は、 いいたいことをはっきり言う
やんわり言いつつも伝える
名前を堂々出す
『出てこいやぁ』
くらいの勢い
でもね
クラスの子たちはみんな名前出したくない子や、諦める子、我慢する子が多かった
『変えたいなら闘おう』
と話しをしたら
『みんながみるく♪さんみたいに出来ないよ』
と言われ
『一人で闘うのは私だけでもいい、でもみんなで改善のために動くことが大切では?』
と話しました
No:1929 2008/01/07 03:20 | みるく♪ #-URL[ 編集 ]
ありがとうございます
私こそ本当に感謝感謝です。
25さんには、情に溺れる自分に酔う愚かさから覚める勇気を頂きました。自分の感情も観察対象に。常に情の外に目を持つ。
途端に、また状況が変わり始めました。もの凄い事です。
この変化は私を散々に傷付けて、私の覚悟を試すかの様です。
もう、笑うしかないのでした^^;
共感!私も似たような経験があります。その時は一人で闘いました。
私もかつては闘う人間でした。それが、無益な争いを避ける内に、闘い自体が面倒になり、必要な闘いまで忘れてしまっていました。
骨抜きになった自分に、もう一度骨を入れます。
No:1930 2008/01/07 23:38 | Lio Valente #YZ0P4Y7kURL[ 編集 ]
おめでとうございます。
近視眼、、危険ですね。
こちらにコメント書いたつもりが???無くなっていました??
ともかくも、本年もよろしくお願いします。
No:1931 2008/01/08 18:07 | hana #-URL[ 編集 ]
hanaさん明けましておめでとうございます
こちらこそ、今年も宜しくお願いします
今年もより良い年!
No:1936 2008/01/11 01:01 | Lio Valente #YZ0P4Y7kURL[ 編集 ]
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