仲が良いと言う事
今晩は。今日も御訪問有難う御座います。
大人げない事に、観たいテレビ番組で母と少し揉めました。結局私が怒って部屋を出て行ったので、私が譲る形になりました。
母がその番組をどれ程楽しみにしているかも知っているし、その前に譲ってもらっていたのにと、恥ずかしくなりました。周囲の人と仲良くしよう、穏やかに暮らそうと思っていたのに、台無しにしてしまった後悔に苛まれました。
けれど、私もどうしてもその番組が観たかったのです。母も自分も観たい番組があって、それで衝突しただけです。日頃お世話になっているのだから、私が譲るべきとは個人的に思いますが、「衝突があってはならない」とまで思う必要はないのではないかと感じ始めました。
何一つ揉める事無く穏やかに暮らせるなら、それが良いとは思います。けれど、以前書いた内容とも重なりますが、常に負の感情や自我を抑制し続けなくても良いとも思います。それらも自分の一部です。
あまり自己中心的では困りますが…
そう言った面をぶつけあってもなお仲良く出来る事、きっとこれは素敵な事。
そう思うと、さらに考えが進みました。
私はずっと、誰にも愛されていないと思ってきました。家族すら心底信用出来ませんでした。友人・知人は尚更です。一人で出口のない孤独の中で生きていると思っていました。
多分、それは違うのでしょう。私が誰にも愛されていないと言うより寧ろ、私が誰も愛していなかった。
愛する事が怖かったのかも知れません。今迄に二度「好きだ」と面と向かって言われましたが、私はどちらにも返事が出来ませんでした。
もし、この人の自分への愛情より、自分のこの人への愛情の方が大きかったら、自分が傷付いてしまうと思ったのかも知れません。打算的に過ぎたのかも知れません。
誰かに愛されれば、その人を愛してしまうかも知れないから、愛されたいと思いつつ、どこかで愛される事から逃げていた気がします。「自分なんて嫌われて当たり前。孤独の中で生きれば良い。その方が気楽だ」等と、自分の殻に閉じこもっていた気が。
もう良いんだよ、そんな事。
愛したい人を、物を愛すれば良いよ。
だって、好きな気持ちは気持ち良いでしょう?
向こうがこちらをどう思うかは、
向こうに任せておくさ。
言葉を漂泊する文法人 Lio Grammaticus
観たかった番組です↓
http://www.nhk.or.jp/inca-maya-aztec/ja/home.html
気付き | Comment(0) | Trackback(0) | Top ▲













































_3.gif)