読書の話3:『山月記』『悟浄出世』『悟浄歎異』【第141回】
今日は。今日も御訪問有難うございます。

昨日の夜から「ゆっくりしたい」との心身の声に従って、今日はお昼過ぎまでぼんやり過ごしていました。以前なら、このままずるずるとサボって何もしなくなる事を恐れましたが、今はその恐怖を感じません。休めばまた歩き出す自分を知っているからです。
今日は読書のお話です。ここ数日の記事とも関係のあるお話で、素敵なシンクロと気付きのあるお話です。
今日の本はこちらです。
『山月記』を授業で読んで、級友は私の事だと言いました。その時は、李徴の自負心のみに目が行って、そうかも知れないと思いました。自分の不才が明かされるのを恐れて何も出来なかっただけだと気付いたのは、随分後になってからです。認められない事を恐れて、作品を発表出来なかっただけ。孤高を気取って、実は仲間外れが怖かっただけ。追い出される前に出て行っただけ…
それから何年か経って、暗闇の真っ只中にあった私は『山月記』をまた読む事にしました。その時私が共感したのは李徴よりも『悟浄歎異』の悟浄でした。それぞれの信念に沿って生きてゆく師匠・三蔵と仲間の悟空・八戒に比べ、確たる信念を見付けられず、積極的に生きられずにいる悟浄。思考にとどまってなかなか進めない悟浄はまず、思考より先に行動し、どんどん進んでゆく悟空の生き方を学ぼうとしますが…
その当時買った短編集には入っていなかった、『悟浄歎異』の前編である『悟浄出世』を先日読んで、どうしてこちらを先に読まなかったのか、どうしてあの頃これは私の前に現れてくれなかったのかと思いました。
「世界と自分の存在理由」に悩み、答えを求めながら得られずに堂々巡りを繰り返して進めない悟浄。「自分探し」と称し、一見「勉強している」様に見せかけて実は何もせず決断の時を先延ばしにしてきた自分のモラトリアムと重なりました。
立ち止まって考えていても何も始まらない、とりあえず進んでみた方が良いと知りながら何故進めないのか。紆余曲折を経てその理由に気付いた悟浄は、足を踏み出す覚悟を決めました。そして…
きっと、あの時この小説に出会わなかったのは、まだその時ではなかったからだと、この小説を読んで感じました。今出会うのが良かったのです。
けれど、今読んで涙が出るのは『山月記』。戻らない日々への哀惜か、安堵か…
このブログを始めた時に書いた言葉を今日再び読んでみました。
「私は昔から文章を書くのが好きで、いつか自分の文章を発表したいと思っていました。ですからブログにも興味がありました。
けれど、漠然とそう思っているだけで、実際それに対して何か始めようとは考えていませんでした。
そんなある日、文章を多くの人に読んでもらった方が良いとのアドバイスをある方に頂いたことから、文章を書く事についてじっくり考える機会を得ました。
そして気付いたのです。以前から文章を発表したかったのに、「書く内容が出来たら」「もっと文章が上手くなったら」等と先延ばしにする言い訳ばかりしてきた事に。
これではいつまで経っても始まりません。
何か始めなければ、何も始まりません。
理想通りに出来ないからしない、ではなく、今出来ることを精一杯やりたいと思い、今日からブログを始めてみました。
始めたからこそ分かる事や書ける事があるかも知れないと、今からとても楽しみです。 」
そして、今やこのブログは多くの方々に支えられ、私の文章にアドヴァイスを下さる方々にも出会えました。始めなければ辿り着けなかった場所、一人ではなかなか到達出来ないであろう思考が現実のものとなっています。もう私は李徴ではなかったのです。悩みながらも進んでゆく『悟浄歎異』の悟浄の様に、これからも進んでゆきます。
これまで本当に有難うございました、そしてこれからも宜しくお願いします。
上記以外にも、中島敦の作品が多く収録されている青空文庫。お奨めです。当ブログの「世界への扉」にもリンクを貼りました。
http://www.aozora.gr.jp/
最後まで読んで下さって有難うございました。希望を持てば、今日は昨日よりもっと良い日になります。今日も皆様が幸福に過ごされます様に。
今日の一言:そうなる様に生きてゆける。
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昨日の夜から「ゆっくりしたい」との心身の声に従って、今日はお昼過ぎまでぼんやり過ごしていました。以前なら、このままずるずるとサボって何もしなくなる事を恐れましたが、今はその恐怖を感じません。休めばまた歩き出す自分を知っているからです。
今日は読書のお話です。ここ数日の記事とも関係のあるお話で、素敵なシンクロと気付きのあるお話です。
今日の本はこちらです。
中島 敦 / 岩波書店(1994/07)
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『山月記』を授業で読んで、級友は私の事だと言いました。その時は、李徴の自負心のみに目が行って、そうかも知れないと思いました。自分の不才が明かされるのを恐れて何も出来なかっただけだと気付いたのは、随分後になってからです。認められない事を恐れて、作品を発表出来なかっただけ。孤高を気取って、実は仲間外れが怖かっただけ。追い出される前に出て行っただけ…
それから何年か経って、暗闇の真っ只中にあった私は『山月記』をまた読む事にしました。その時私が共感したのは李徴よりも『悟浄歎異』の悟浄でした。それぞれの信念に沿って生きてゆく師匠・三蔵と仲間の悟空・八戒に比べ、確たる信念を見付けられず、積極的に生きられずにいる悟浄。思考にとどまってなかなか進めない悟浄はまず、思考より先に行動し、どんどん進んでゆく悟空の生き方を学ぼうとしますが…
その当時買った短編集には入っていなかった、『悟浄歎異』の前編である『悟浄出世』を先日読んで、どうしてこちらを先に読まなかったのか、どうしてあの頃これは私の前に現れてくれなかったのかと思いました。
「世界と自分の存在理由」に悩み、答えを求めながら得られずに堂々巡りを繰り返して進めない悟浄。「自分探し」と称し、一見「勉強している」様に見せかけて実は何もせず決断の時を先延ばしにしてきた自分のモラトリアムと重なりました。
立ち止まって考えていても何も始まらない、とりあえず進んでみた方が良いと知りながら何故進めないのか。紆余曲折を経てその理由に気付いた悟浄は、足を踏み出す覚悟を決めました。そして…
きっと、あの時この小説に出会わなかったのは、まだその時ではなかったからだと、この小説を読んで感じました。今出会うのが良かったのです。
けれど、今読んで涙が出るのは『山月記』。戻らない日々への哀惜か、安堵か…
このブログを始めた時に書いた言葉を今日再び読んでみました。
「私は昔から文章を書くのが好きで、いつか自分の文章を発表したいと思っていました。ですからブログにも興味がありました。
けれど、漠然とそう思っているだけで、実際それに対して何か始めようとは考えていませんでした。
そんなある日、文章を多くの人に読んでもらった方が良いとのアドバイスをある方に頂いたことから、文章を書く事についてじっくり考える機会を得ました。
そして気付いたのです。以前から文章を発表したかったのに、「書く内容が出来たら」「もっと文章が上手くなったら」等と先延ばしにする言い訳ばかりしてきた事に。
これではいつまで経っても始まりません。
何か始めなければ、何も始まりません。
理想通りに出来ないからしない、ではなく、今出来ることを精一杯やりたいと思い、今日からブログを始めてみました。
始めたからこそ分かる事や書ける事があるかも知れないと、今からとても楽しみです。 」
そして、今やこのブログは多くの方々に支えられ、私の文章にアドヴァイスを下さる方々にも出会えました。始めなければ辿り着けなかった場所、一人ではなかなか到達出来ないであろう思考が現実のものとなっています。もう私は李徴ではなかったのです。悩みながらも進んでゆく『悟浄歎異』の悟浄の様に、これからも進んでゆきます。
これまで本当に有難うございました、そしてこれからも宜しくお願いします。
上記以外にも、中島敦の作品が多く収録されている青空文庫。お奨めです。当ブログの「世界への扉」にもリンクを貼りました。
http://www.aozora.gr.jp/
最後まで読んで下さって有難うございました。希望を持てば、今日は昨日よりもっと良い日になります。今日も皆様が幸福に過ごされます様に。
今日の一言:そうなる様に生きてゆける。
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