2008'03.20 (Thu)

行動指針

他人から、特に気に入らない人間からとやかく言われない為に。
雑音を消す為に。

誰よりも自分に厳しく。

己の足りない所には容赦なく。

やる以上は真剣に。
仕事に貴賎はない。
本当に分かっているか?

怠け者の仕事を奪う。

他人と同じ業務をするなら、
他人より手間暇かける。
それでいて迅速に。

他人のミスを論う位なら
何食わぬ顔でフォローを入れる。

誰も見ていないと思える所こそ丁寧に。
そういう所程、必ず誰かが見ている。
こちらの品格が如実に出る場所だからだ。

けじめはきちんと。
業務中の雑談等論外。
話したければ
さっさと業務を終えて
それから話す。

人当たり良く礼儀正しく。
ただし、相手次第で「差」は付ける。
差別化の基準が
自分の品格に繋がるので注意。

自分を嫌っている人間には無理に近付かない。
余計嫌われる。
自分を嫌う人間に好かれる事を
自己評価を上げる手段と
思いがちだが、それは錯覚だ。
好き嫌いは理屈ではない。

Lio Valente

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2008'02.29 (Fri)

輝き

常に笑顔でいるべきだと思っていた。喜怒哀楽の喜楽しか見せるべきではないと。そうあってこそ、周囲と上手くやってゆけるのだと。

周囲に怒りを見せたら自分の評価が下がる、周囲から人が離れてゆくと思っていたが、もしそうだとしたら、元より自分の笑顔が輝いていないのだ、人間そのものが光っていないのだと思った。

Lio Valente


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2008'02.10 (Sun)

配慮

誰かの話を10分聞いたと仮定しよう。

自分が興味を持っている話題、人物の話なら、長いとは感じないだろうし、
時間が足りない、もっと聴きたいと思うだろう。

自分が興味を持っていない話題、人物の話なら、長く感じるだろうし、
早く終わる事ばかり考えるだろう。

話したい相手なら何時間話しても足りない位なのに、
そうでない相手に話し掛けられると、
たとえ相手が二言三言話しただけでも「煩い、お喋りな人物」と感じる。

電車の中の他人の会話も、
話題が面白ければ大声でもあまり気にならないが、
どうでもよい話題だと、小声でも不愉快だ。

TPOに気を付けるとは、ここまで考慮する事らしい。

Lio Valente

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2008'02.08 (Fri)

待ちぼうけ

暫くずっと腐っていた。
力を注いだ望みは叶わず、毎日が灰色になった。
笑顔などなりたくもなかった。
不遇に絡め取られた風を楽しんだ。

それでも優しくしてくれる人がいた

帰る場所があって
働ける場所があって
笑い合える人がいて
やる事があって
やりたい事をやる自由がある

それで感謝出来なかったとしたらとんだお笑い草だが、そんなお笑い草だった私。
私に望む自由があるなら、望みにも叶うかどうかを決める自由があるのだろう。

腐ればそれまで
蒔いた種なら咲くまで待とう
諦めても何も変わらない
待てば、せめて望みはある

与えられた事に心を尽くせ
奪おうとしても何も得られない

Lio Valente

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2008'01.19 (Sat)

救済

悩みは口にしないが良い。

解決方法は知っている。(時期と忍耐も必要)
誰かにそんな事はないと言われたくない。(あるから悩んでいる)
誰かに大丈夫と言われても仕方ない。(自分で腐る程言っている)

試練と呼んで良かろうか。

時が来れば解決するだろう。
役割を終えれば去るだろう。
それ迄が辛いだけだ。
いつ迄か分からぬなら尚更。

救い等はない。
この世は救わねばならぬ場所ではないし
我々も救われるべき存在ではないからだ。
既にあるべき世界に
既にあるべき我々がいる。
何を如何にして何処へ救うと言うのか。
あるべき場所であるべき自己を全うせよ。

それとも逃げを救いと呼ぶか。

言葉にして失うものは確実にある。
それを使命と思うなら、已むを得まい。
思えぬなら已めたが良い。

Lio Valente

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2008'01.15 (Tue)

挑戦

弱くても良いという考え方は、
私には今一つしっくりこない。

考え方自体を悪いとは思わないし、
それで救われる人もいる。

けれど私は強くありたい。
如何なる試練にも耐えられるように。
大切なものを守れるように。

私は主体として生きたいし、
自分の道を自分で歩きたい。
人生戦場を自分で戦い抜きたい。

一人で生きている訳ではないけれど、
自分で出来る事は自分でしたいし、
出来る事の範囲を広げたい。

Lio Valente

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2008'01.13 (Sun)

「何となく」感じる事は大抵当たっている。

第一印象は多くの場合、正しい。

よく言われる事だが、勘は経験による無意識的且論理的な判断だ。この判断を行う働きを、便宜上「無意識的思考」と定義しておく。

脳は「無意識的思考」において過去の類似事象を照会し、最も妥当な判断を下す。脳の「無意識的思考」とはもの凄いもので、一瞬でこの処理を行う。「意識的思考」とは比較にならない速さだ。その為に、「時間を掛けた考察」に比べて軽んじられるのかも知れないが、我々の「意識的思考」を司る顕在意識の脳における領域は、「無意識的思考」を行う潜在意識のそれの10分の1にも満たない。処理能力に開きがあるのは当然であろう。

勘を否定するのは「意識的思考に対する過信」の他、「感情」もある様に思う。「この人物は信用出来ない」「旨過ぎる話だ、怪しい」という勘に対し、「いや、自分が邪推しているだけだ。勘など当てにならない、論理的に考えよう」と、「意識的思考」をフル稼働させて「それを信じたい自分」を正当化しようとする。信じたい理由は様々だが、信じたい自分を正当化する点は、殆どの場合に見られるものだ。そして、「意識的思考」を過信する故、それが「無意識的思考」が出した判断を(少なくとも理論上で)覆せばそれで満足する。

勿論、勘が外れる事もある。類似事象全てが同じ結果に繋がる訳ではないし、未経験の事柄は類推しか対応手段がない。

しかし、「無意識的思考」による勘と「意識的思考」のどちらが正しい判断を下す確率が高いか。私は経験から前者だと考えている。

勘に自分が望む判断をしてほしいなら、潜在意識を変え、また経験を変えてゆくのが良いだろう。

Lio Valente

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2008'01.06 (Sun)

判断と責任

25さんのブログで学んだ事と、そこから考えている事を書いておく。

ほぼ毎日我々は判断する機会を持つ。

情で判断すると、判断を誤りやすい。本当は正しいと分かっている事に目を瞑る事すら起こりうる。そして、信用を失う事もある。

観察し、分析結果から判断する。判断精度が上がる。周囲からの信用に繋がる。

情は勿論、大切だと思っている。現に情に何度も救われてきた。ただ、情を抜きに論ずべき事柄もある。情と判断の間に線を引きながら、両立させるのが望ましい事もある。それもまた、観察から判断すべき事。

情を差し挟むべきではない事柄でも、情から離れられずに振り回される人間を人情に厚いと言い、求められる時に求められる冷静さを持つ人間を非情と呼ぶ事もある。冷静と非情の区別は往々にしてつけにくい。

「○○の為」「自分はこれで良い」「嫌だが断りにくい」等と、自分が我慢して保つ関係は結局、関係者全員を不快にして破綻する場合がある。「可哀そうだから」「そこまで言わなくても」等と甘やかし、結果誰かが自力で抜け出せない程の厄介事に嵌り込むのを看過する事もある。それを思えば、情を抜くべき時に抜けない人間こそ非情であろう。

そういう人間は、確かに善人だが、最終的な結果を考えない近視眼的善人だ。それだけではなく、他者から良い人に見られたいという自己愛から行動している場合もある。

私もその傾向がある。だから、変わる。

何かの為と言うならば、最後まで貫け。
誰かの為なら、その人を何があっても守り抜け。
それが出来ないなら、始めから止めておけ。

優しさは甘さではない。まして、弱さではありえない。優しさこそ、貫くには強さが必要だ。突き放す強さ、縋られても揺るがない強さ、どんな状況になっても投げ出さない強さが。

Lio Valente

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2007'08.13 (Mon)

生きていたい

今晩は、いつも御訪問ありがとうございます。

一つ前の記事、「乗り越えてゆけるから」を書くには勇気が要りました。

「死にたい」という言葉はずっと意図的に避けていました。デリケートな問題ですから書くべきではないと思っていましたし、過去に何度か口にして、周囲の人が何を思い、何を言うかある程度予測がつく様になっていたからです。

けれど今回は思い切って書きました。

何故なら私はもう辛くても死にたいと思わなくなっていたからです。今迄経験した事もない困難が複合的に襲い掛かってきたというのに、私は逃げたいとも死にたいとも思わなくなっていました。


ここで生きるのが楽しいから

困難を乗り越えて

理想通りの自分になって

望む人生を歩みたいから

だから生きていたい

生きて最後まで闘い抜いて

私は望む結果を手に入れる


死にたい人に「死ぬのはいけない」という言葉がどれ程響くものなのか、個人差は当然あるでしょうが、ある程度は知っているつもりです。だから私は言いません。

ただ、かつて死にたがっていた人間が今、葛藤の中でも生きる意欲に燃えている事。それを伝えたいと思います。

最後に、お勧めの本を御紹介します。

内容は伏せますが、冒頭で、自殺した主人公達へ神が語りかける言葉が特に印象に残っています。

高野 和明 / 文藝春秋(2004/04/07)
Amazonランキング:23664位
Amazonおすすめ度:
非常によく出来てます
教材にしたい
題材は良いが、詰めが甘い。


こちらは文庫版です。

高野 和明 / 文藝春秋(2007/04)
Amazonランキング:959位
Amazonおすすめ度:
生きている意味がしみこんでくるようです
深夜に読破
こんな小説に久しぶりに出会った。



言葉を漂泊する文法人 Lio Grammaticus

この世界はとても楽しいから生きていたい!
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2007'02.05 (Mon)

抑えこんでいた筈の、かつての「悪い自分」が出てきた理由はこれだった?!

お早う御座います、今日も御訪問有難う御座います。

就職して約1年。いままでぬるま湯モラトリアムに浸かっていた身には辛い事の連続でした。何もかもが裏目に出る様に感じ、いつの間にか他者を羨み、環境を恨み、疲れたからと努力を怠り、愚痴ばかりこぼして否定的な言葉しか口に上らなくなっていました。今まで抑えこんできた筈の、かつての「悪い自分」が次々と現れたのです。

今まで自分がやってきた事は何だったのだろう。結局はモラトリアムの温室で捏ね繰り回した机上の空論だったのか。

セルフイメージは下がり、自分でも聞きたくない言葉ばかり口にしては後悔ばかりしていました。

そんな時、Hikariさんのブログでこの本が紹介されていました。



否定的で怠け者で、努力より愚痴や悪口の好きな「悪い自分」と呼んでいた面も、私には違いないのです、どんなに認めたくなくても。それを敵視するより、共存するにはどうしたら良いか考える事の方が、今は必要なのかもしれません。

ここで1対8対1の法則を思い出しました。「グループの中で、1割は優秀、8割は普通、残り1割は怠け者」というあの有名な法則です。グループから怠け者を除いても、残り9割がまた1対8対1に分かれ、必ず怠け者は出てくるのだそうです。例えば、100人の内から10人の怠け者がいなくなると、残り90人中、9人が優秀、72人が普通、9人が怠け者に再編されます。

もしかしたら、自分一人をとっても、この法則が当てはまるのではと感じました。「悪い自分」と呼んでいる自分と同じだけの「良い自分」もいるのかも知れません。

「読んだからこんなに人生が変わった!」という劇的体験は、まだ私にはありませんが、今必要なヒントは得られました。

Hikariさん、きっかけを有難う御座います。

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